どうも、セレサポ.netライターの牧落連(まきおちれん)です。
新年最初のコラムは、今日飛び込んできたこのネタについて!
いやしかし、香川真司の復帰には驚かされました。と同時に、若いサポーターたちの「セレッソにいた頃の香川はどんなだったの?」というリアクションにも驚かされました。実に13シーズンぶりのセレッソ復帰ですから仕方がないですね。
香川真司の選手としての能力は疑いようがないですが、セレッソにとってはそれ以上の「何か」を残していった存在でもあるんです。今回は香川真司の魅力、そしてそのキャリアをできる限り細かくご紹介していけたらと思ってます。それではいってみましょう!
シンデレラボーイの登場~どん底からJ1へ、そして世界へ~
香川がセレッソとプロ契約を結んだのは2005年のことでした。その年、あとわずかのところでJリーグ優勝の夢に破れたセレッソは、補強やチーム作りでつまずき、翌2006年まさかのJ2降格となります。大久保嘉人、西澤明訓ら主力が次々とJ1リーグに移籍し、2006年シーズンもスタートダッシュに失敗するというありさま。香川はそんな泥沼の中から現れたたったひとつの希望でした。
最初はボランチとしてプレーしていましたが、当時の監督レヴィー・クルピに攻撃的なセンスを見出され、トップ下にコンバートされると才能が開花、セレッソになくてはならない存在になります。2009年には27得点でJ2得点王となりJ1昇格に貢献。2010年シーズンも11試合で7ゴールと能力の高さを証明。
同年5月、多くのサポーターに見送られドイツのボルシア・ドルトムントに移籍。その後も輝きは失われず、世界に通用するプレーヤーになったのは多くの人が知るところです。
香川が一番生きるのはゴール前でしょう。選手が密集しているスペースでも僅かな隙間があれば細かなボールタッチで侵入し、突破する技術とひらめきがあります。
2009年J2リーグ、アウェイ札幌戦ではディフェンダーのみならず、キーパーまでかいくぐってシュートを決め、観客をうならせました。当時、筆者はスカパーの中継で試合を見ていたのですが、解説者が呆然としたまま「香川は今のうちに見ておいたほうがいいです。遠からず国外のクラブに移籍するでしょう。」とつぶやいたのを強烈に覚えています。
背番号8、襲名
香川はセレッソの歴史を語る上で欠かせない選手です。彼はプレーのみならず、セレッソの伝統も作ったのです。セレッソだけのエースナンバー、背番号8の伝統も彼が作ったものでした。
2008年まで、セレッソの背番号8といえば森島寛晃(現セレッソ大阪社長)でした。2度の降格を味わいながらセレッソに残留し続けたミスターセレッソです。しかし、晩年には原因不明の首痛に悩まされ、2008年にはJ1に復帰できないまま無念の引退となりました。
香川はこの年、森島の分も活躍したいという想いを胸にプレーし続けます。シーズン終盤にはゴールを決めるとユニフォームをたくし上げ、背番号8のユニフォームを見せるパフォーマンスが定番となりました。そして最終節、森島が引退セレモニーを終えたあと香川に背番号8のユニフォームを手渡し、背番号8の伝統が生まれたのです。
このあと背番号8は清武弘嗣、柿谷曜一朗(現徳島)、乾貴士(現清水)に受け継がれました。クラブにとって、サポーターにとって特別な存在だけがつける背番号8にはこうした歴史があったんです。
蛇足ですが、香川がドルトムントで活躍してしばらくは「セレッソの攻撃的プレーヤーは役に立つ」と海外クラブからやたら引き抜かれる時期がありました。今では当たり前のことですが、当時は「どうしてウチばかり引き抜かれるんだ!」と腹を立てたりしてましたね。この流れも香川が作ったものです。
香川真司を見いだした2人の指導者
もうひとつ、香川を語る上で欠かせないのが指導者たちの存在です。前述の通り、香川の才能を見出したのはレヴィー・クルピだったのですが、クルピは急遽呼び出されたイレギュラーな存在でした。前監督である都並敏史氏が思ったような成績を残せずシーズン序盤で退任した、その代わりだったんですよ。
都並監督最後の試合では、ボランチが自陣でドリブルを仕掛けてボールをかっさらわれ敗戦となりました。そのボランチこそ、2年目の香川だったんです。あのときミスをしなければ、世界に通用するアタッカーになれなかったかもしれないと思うと、人生は不思議なものだと感じさせられます。
いい上司に恵まれる運の強さは海外に移籍しても変わらず、現リバプール監督のユルゲン・クロップや、当時常勝軍団だったマンチェスター・ユナイテッドのサー・アレックス・ファーガソンのもとでプレーしています。これらの経験が今後セレッソの選手たちに還元されればいいですね。
おっと忘れてました、もうひとり大事な指導者を紹介しないといけませんね。香川は高校卒業前、高校2年生でセレッソに入団しています。高校在学中の入団は異例中の異例でしたが、競合していたFC東京との争奪戦に勝つためにはこれしかないとの判断でした。
まだ高校2年生のプレーヤーを発掘し、これほどの情熱を持って接したスカウト担当のスタッフには本当に頭が下がります。
その人、小菊昭雄というらしいですよ。
ではまた。
写真・文:牧落連