乾貴士がセレッソに復帰すると聞いた時、正直耳をうたがった。あんなスゴい選手セレッソに戻ってくるわけないじゃん、どうせフェイクニュースだろと笑ってストロングゼロを飲んで爆睡したくらいだ。
そんなものだから本当に復帰した際はひっくり返るほど驚いたし、9月1日のルヴァンカップ準々決勝1stレグでピッチ上に現れた時には角膜が傷つきそうなほど目をこすった。
けれど、それよりもっと驚いたことがある。10代、20代の若いサポーターが乾貴士というとんでもないプレーヤーのことを詳しく知らないというのだ。もったいない!もったいないぞ、若いサポーターたちよ!
ということで今回は、乾貴士というフットボーラーがどれだけ素晴らしいか、愛される存在なのかを4つのエピソードを軸に紹介しようと思う。
野洲高校の革命児
乾の名前を初めて知ったのは野洲高校サッカー部に所属していた頃だった。当時の野洲高校は個の力に依存せず、フィジカルをベースに確実に勝ちを狙うこともなく、テクニックとチームワークを武器にした華やかなサッカー(セクシーフットボール)を披露してくれた。
なんて小難しいことを言われてもわかりにくいだろうからこのゴールを観てほしい。2006年1月9日、第84回全国高校サッカー選手権大会決勝戦で生まれた伝説のゴールだ。
トーナメント戦の決勝、それも延長戦でこれだけ質の高いプレーができるチームは後にも先にも野洲高校だけ。乾は背番号14をつけ、サイドチェンジのロングパスをいとも簡単にトラップするとバイタルエリアにカットイン、シュートすると見せかけてヒールパスを出している。そんなんできへんやん、普通。
セレッソ、マリノス両サポーターが愛した「やんちゃ坊主」
そんな乾は将来を期待される若手として2007年に横浜F・マリノスへ入団、プロデビューを果たしたものの、なかなか出場機会を得られなかった。そうして、2008年シーズン途中から当時J2だったセレッソ大阪に移籍し、試合に出場するようになる。
この移籍はセレッソサポーターにとってもマリノスサポーターにとっても大きな驚きだったようで、両チームのサポーターが乾に対してアクションを起こした。
マリノスの若手サポーターたちは、当時セレッソの練習場があった南津守までわざわざ足を運び、寄せ書きが入った青いTシャツをプレゼントし、マリノスにとって必要な存在なのだと復帰を望んだ。
一方、セレッソのある女子大生サポーター(当時はセレ女なんて単語はなかった)も負けじと寄せ書きTシャツを贈り、乾へ想いを伝えた。
当時の乾はセレッソで機能し始めてはいたものの、まだ駆け出しの若手。両クラブのサポーターにこれほど愛されたのは、彼の魅力的なテクニックと憎めない性格ゆえだったのではないかと思う。
(Tシャツを贈った女子大生サポーターが本サイト『セレサポ.net』を立ち上げるのはそれから10年以上あとの事であるが、それはまた別のお話。)
香川真司との反則級コンビ
翌2009年、乾はセレッソに完全移籍することを選ぶ。そしてこの年、“もう1人の天才”香川真司とコンビを組むことで才能が開花し、セレッソの歴史に残るような活躍を見せるようになる。才能を持った2人はお互いに刺激しあい、技を磨き、スペシャルな存在になった。海外に出てから成長したと言われることもあるけれど、香川との出会いが一番の刺激だったのではないだろうか。
一方はのちにドイツ、スペインで10シーズン過ごすことになるテクニシャン、もう一方もやがてドルトムントの中心選手として大活躍する生ける伝説、どちらか1人を相手にするだけでも大変な存在なのに2人もいるんだから相手はたまったもんじゃない。J2の各クラブも頭を抱えただろう。
しかもこの2人、コンビネーションも半端なものではなかった。アイコンタクトなんてしなくてもダイレクトパスが何本も通る。気がつくとどちらかがゴールを決めていて、相手チームの守備陣は呆然としていた。この年は香川が27得点でJ2得点王、乾も2度の1試合4ゴールを含め20得点と大活躍する。
翌2010年、J1に昇格してからもこのコンビは相手の驚異になり続けた。そして、香川がドルトムントに移籍してからの乾は、清武弘嗣、家長昭博と3シャドーを組んでセレッソを3位にまで押し上げることになる。
今思うとこれだけタレント揃っててどうして優勝しなかったのか不思議だけれど、監督がクルピで守備スカスカサッカーだったのを思い出した。チクショー。
夏の風物詩「練習生」
最後は、乾がどれだけサッカーを愛しているかがわかるちょっと笑えるエヒソードを紹介しよう。2011年から海外でプレーすることになった乾だけれど、実はほぼ毎年舞洲に現われてはセレッソの選手たちと練習をしていた。
ヨーロッパのリーグ戦はほとんどが秋春制で初夏はオフシーズンになる。大抵の選手は郷里に戻ってリラックスするものだが、乾にとってはサッカーができず退屈なようだ。夏場にリーグが終わるとすぐ帰国、関西国際空港から高速をかっ飛ばして舞洲の練習場に直行した上、セレッソの練習にまぜてもらっていた。
それだけならギリギリセーフだと思うのだが、ミニゲームや紅白戦、練習試合でも「メンバー足らんの?じゃあ俺も混ぜて!」と言い出すし、セレッソもそれを許してしまっていた。
あの乾貴士が出てましたなんておおっぴらには言えないから、クラブのホームページでは「練習生」と匿名にしていたという。
おかえり、ガキンチョ
海外に移籍してからの乾のことは正直よく知らないのだけど、舞洲に現れていた彼はずっと子どものままのように見えた。練習では誰よりも声を出し、笑ったりひっくり返ったりしてチームを明るくしてくれた。
一方で、練習後のファンサービスでサポーターからサインを求められた乾は、「『○○さんへ』と書いてください。」というリクエストに硬直し「○○って、漢字でどう書くん?」とあぶら汗を流していた。なんて愛すべきガキなんだろう。
そんなガキンチョがセレッソに帰ってきてくれたのだから嬉しくないわけがない。スタメン初出場となった9月11日の札幌戦では試合前におこなわれた差別主義を撲滅する宣言を噛んでしまうなんて様子まで披露、サポーターを笑わせてくれた。雑に話して噛んだのではなく、用意された台本を見ずに自分の言葉で話そうとして噛んだのだから責めたりしない。
つまり、プレーヤーとしても最高の存在で、どんな時も明るく、チームを盛り上げてくれて、おまけにサポーターを笑わせてくれる、それが乾貴士なのだ。
昔を知らない若いサポーターたちも、そのうちきっと彼の虜になる。ぜひ注目していてほしい。
写真・文:牧落連