セレッソ大阪には老若男女さまざまなサポーターがいる。今回、取材するのはセレッソファン歴20年、GKキム・ジンヒョン選手をこよなく愛する「ぐっさん」。スタジアムではジンヒョンの大旗を振り、彼がA代表に選ばれた時には韓国にまで足を運んで声援を送ったという。
ジンヒョンにとって、まるで“日本のお母さん”のような存在。その愛情溢れる応援スタイルをさまざまなエピソードとともに紹介する。
1試合でひとめぼれ モリシのプレーの虜に
―セレッソのファンになったきっかけを教えてください。
1993年にJリーグができるっていう時にどっかのチームを応援したかったけど、当時、日本代表ばっかり見ててゴン中山(中山雅史)のファンやったから、そこから取っ掛かりでもいいかと思って最初はジュビロ磐田のファンクラブに入ったんよね。
せやけど、大阪住んでるからそんなに簡単にイベントにも行かれへんし、全く旨味がなくてお金払ってる意味ないわと思って1年で退会して。
そんな頃、セレッソ大阪がJリーグに加盟することになって。その時は、あーセレッソっていうチームができたんやなぁ、日本代表の森島(現セレッソ大阪社長、森島寛晃。愛称:モリシ)っていう選手が居てるんやなぁってくらいに思ってたかな。
―初めてスタジアムに足を運んだのは?
2001年、長男が保育園の年中になった時になんか運動させたいなぁと思って、野球は親が大変そうやからサッカーやらせたいなと思って、調べたら家のすぐ近くでセレッソがスクールやってるのを知ってね。
そこに通わせるようになって半年くらいしたら「スクール生無料招待デー」っていうのがあって。完全に私、カモ(笑)一番下の当時まだ赤ちゃんやった子どもも連れて試合を観に行ったのが最初やったな。(2001年11月10日のヴィッセル神戸戦、3-1でセレッソの勝利)
ほんなら、その試合がめちゃくちゃ面白くて!その日、万が一子どもに何かあった時の為に財布に1万5000円入れてきたんやけど、ハーフタイム終わるまでにほとんどグッズに消えてった(笑)メガホンとか旗とかシャツとか、私含め家族全員分。来た時と帰った時の格好が全然違うみたいな。
それくらいその日の試合が魅力的で、一発でハマったなぁ。モリシのプレーも初めて生で観て「さっきあそこにおったのに、え?!またあっち行ってる!」みたいな。もう夢中でモリシを見てた。
でもそれ、降格が決まった次の試合やって。こんな面白いサッカーするのになんで落ちるんやろって不思議に思ったのを覚えてる。
まるで恋?アキを追いかけた2000年代
―今はジンヒョンを応援しているそうですが、最初はアキ(1990年代、2000年代を代表するFW、西澤明訓)が好きだったと伺いました。
最初はモリシを観に試合に足を運ぶようになって、その頃、アキは怪我で欠場してたんよね。
で、怪我から復帰して初めてゴールを決めた時に、自分もゴールネットに一緒に入るようなゴールやってんけど、ネットを揺さぶって大喜びしてて、「この人、こんな喜び方するんやぁ」と思って。ゴール決めてもクールな感じなのかなと思ってたから、なんかその姿にグッときて。それがアキにハマったきっかけやったかな。
プレーそのものはあとづけみたいな感じ。その喜び方を見て惹かれて、そっから観るようになったらプレーがすごかった。テクニックがエロかった(笑)
―アキは2007年に清水エスパルスへ移籍しました。その時はどうしたんですか?
清水にまで追いかけていって応援してたんよ(笑)スタジアムにも練習場にも足を運んだ。
でも、アキがセレッソに復帰した2009年、当時練習場があった南津守に通ってたんやけど、見えてるけど見えてないみたいな、なんか何重にもフィルターかかってるみたいな遠い存在に思えてきた。
南津守で笑うアキ、ファンにニコニコ喋るアキ。表情も今まで私が見てきたのとは違ってすごく楽しそうに笑ってた。清水でも私なりにだいぶ必死で通ってコミュニケーション取ってきたけど、あんな感じでアキの笑顔って容易く手に入るもんやったんやって……。私、アキは清水で引退すると思っててあのシーズンがラストと覚悟して必死やったから、今思えば燃え尽きとったんかなって気がする。
アキが引退してからなんやけど、12th(セレッソ大阪のオフィシャルマガジン)か何かのインタビューで「もっとファンの人たちと話せば良かったかなぁと思ったりする。」というようなことが書いてあって、あぁなんかこんな風に思うようになったんやなって。
以前のアキは、もともとあんまりファンサービスが得意じゃなかったっていうのもあるけど、突っ張ってた感じというか。けど、ベテランになって性格も変わって、そういう思いにならはってんなぁと思って。それがアキを遠くに感じた理由かも知らへんね。
―アキがセレッソに復帰した年、ジンヒョンがセレッソに加入したんですよね。
その辺の経緯はなかなか喋りづらい(苦笑)仲の良かったアキファンの人と溝ができてしまったし。引退する最後までアキを一番に応援することがでけへんかったからね。
アキを大好きなのは変わらんのやけど、例えば他の選手に乗り換えたって言われても否定はでけへん。その申し訳なさは今でもあるね。
1年間ぐらいは色々な仲間にイジられたりもした。みんなビックリしたやろし、そもそも私が一番「まさか……!」やったからね(苦笑)
ロビーにも会う度に「20(西澤選手の背番号)からの〜21(ジンヒョン選手の背番号)!」みたいに指マジックされたよ(笑)
―そこが個サポ(チームではなく、選手個人を応援しているサポーター)の難しさですね。
うーん、私自身は個サポってわけではなくて、あくまでベースはセレッソ。やから、アキを追いかけて清水のスタジアムに通ってたけど、清水を心の底から応援するなんてできへんかったもん。
ユニフォームって「あなたを応援します」っていう意思表示の象徴なわけやん?だから、清水の物でも「西澤」って書いてるやつは買ったよ。
でも、届いてから1週間は着られへんかった。袋から出すのに3日くらいかかって、手に取るのにまた時間かかって、頭をズポッて入れるのにさらに3日かかったのを覚えてる。
「その子、大丈夫?」から始まったジンヒョンへのサポート
―ジンヒョンを応援し始めたきっかけなんだったんですか?
入団してきた年のまだチームが本格始動してない頃に、私の一番仲のいい同世代のセレッソサポーターのまこりんって子が練習場に足を運んでいて、その子から「ジンヒョンは練習が終わったらフードかぶって背中丸めてコソコソ帰るねん。」って聞いたんよ(笑)
え、そうなん?その子、大丈夫か〜?って思ってたら、監督のクルピの「ジンヒョンを守護神でいく」みたいな記事が出たんよ。そんなコソコソ帰るような子、そのうちホームシックで韓国に帰るんちゃう?!それは困る!!と思って(笑)
それで、日本に自分を気にかけてくれる人が一人でも多くいれば帰るのを踏みとどまってくれるかなと思って練習場でファンサービスの時に話しかけるようになったら、すごく人懐っこくて!
当時は私も当然、韓国語はわかれへんし、向こうは日本語勉強中やしでほとんどジェスチャーで喋ってて、通じひんこともいっぱいあったしお互いに「うーん?」ってなることもいっぱいあったけど、それがたぶん楽しかったんやと思う。
顔を合わせるたびに信頼してきてくれるのも表情を見ててわかるし、そんな風に接してくれるのが嬉しくてこっちも一生懸命話して。「来てくれたの?!」って大きな声で言われて、まこりんとうわーってなったこともあるぐらいすごい喜んでくれたこともあったな。それが当たり前になった今では考えられへんことやけどね(笑)そのぐらい打ち解けてくれて。
―それは嬉しいですね!
自分ではまったく意識してなかったんやけど、周りのサポーター友達に「もう、ぐっさんジンヒョンのことめっちゃ好きやでなぁ(笑)」って言われて、ああ、私ハマっちゃってるんやなぁって。
当時、私はまだスタジアムでアキの大旗を振ってたんやけど、そのうちなんだか申し訳なくなってきたんよね。自分が旗を振る資格ないんちゃうかなぁって。アキとジンヒョンで気持ちが半々になってることに負い目があって……。
そう思うようになったら振れなくて、でも旗がなかったらなんで無いんやろう?って思われてしまうから、当時すぐ横で一緒に旗振ってたメンバーでアキ好きな女性の方がいてたから代わりに振ってもらって、私はその横で立ってるだけやった。
2009年にアキが引退する時も、ほんまはもっと思い切って旗振ったりしてあげたかったけど、それもようできなくって……。あんな大事な引退のセレモニーでもアキの顔さえ見れなくて、最後まで添い遂げられへんかったっていう後悔はあるね。
ジンヒョンを応援するため初の海外へ!韓国で親友ができました
―それからはジンヒョンの応援一本になったんですね。
そう。ジンヒョンを練習でずっと見てて、もうすっごい努力する子やって感じたんよ。私みたいな素人が見ても「この子、ダイヤの原石や」って。すごい粗削りやけどそのうち代表入りするわって思うぐらいのもの持ってた。
最初の頃、練習は武田さん(GKコーチ)が一から手取り足取り、中学生のキーパー特訓かなって思うような練習から始めてて。ジンヒョンはそれまで学生やったから1対1とか1対2で教えてくれるコーチがついたことがなくて、ほぼ身体能力だけでやってたみたいな感じやったよ。
超不器用なところも見てきたけど、毎日居残り練習しててすごいなぁと思ってた。それを見てるのが面白くて仕事を早く切り上げて練習場へ通ってたな。すごく一生懸命やる子やし報われてほしいなぁって。
それから私は韓国語を勉強するように。でも、ジンヒョンが日本語覚える方が遥かに早かった。遠征に行くバスの中でもずっとドリルやってたもん。キーパーやから日本語できんとアカンのはもちろんやろうけど、それでもその上を行ってるよね。
―ジンヒョンが代表に選ばれた時には韓国まで応援に行ったそうですね。
ちょうど練習場におった時にジンヒョンがA代表の強化メンバーに選ばれたってニュースが入ってきて、うわーどうしよどうしよって!
入団してしばらくしてからジンヒョンに目標を書いてもらったんやけど、それが「かんこくだいひょう」やったから、済州島に合宿に行くと知って、それは絶対に行かなアカン!って思ったんよね。代表としてプレーしてるジンヒョンを他の誰かに先に見られるっていうのがすっごい嫌で、誰にも負けたくなくて。
でも、お金無いし厳しいかなぁ……って悩んでたら、サポーター仲間が「『私、韓国行ってジンヒョンを応援したいんです。』って言ってカンパしてもらったらいいじゃないですか。」ってアドバイスをくれたんよね。さすがに人のお金で行かれへんわってそれはしなかったけど。
ほんで、そもそも韓国ってどんな所なんやろ?って、私、海外旅行すらしたことがなかったから、当時マネージャーをしてた安さんに「これって私一人で行って大丈夫かな?」って聞いて。そしたら、済州島は観光地やから全然大丈夫やでって言われて、そうなんやぁって。
―海外まで応援に行くのはさすがのぐっさんでもハードルが高かったんですね。
うん。でも、お金はなんとか工面できて、場所とかも全部自分で調べて行くことが叶った。
合宿所に私が現れたら、ジンヒョン目ん玉落ちるかってぐらいビックリした顔してた!(笑)「来たの!一人で?!」って。
その時の写真は(当時韓国代表の)チョ・ヨンチョル選手が撮ってくれた。ジンヒョン自分の方が年上やから、めっちゃお兄さん風吹かせて呼んではったわ(笑)
―韓国に行って本当に良かったですね!
ほんまに!しかも、セレッソを応援してたオさんが繋いでくれたレッドデビル(韓国代表を応援するサポーターグループ)でコールリーダーしてる人と家族みたいに仲良くなって、行くたびにその子がお家に泊めてくれるようになったんよ。
初めはホテルを取ってたんやけど「キャンセルして、ウチに泊まらないの?」って言ってくれて、えー甘えてええんかなって。向こうからしたら「家族なんやから、ウチ泊まったらいいやん!」っていう感じでなんやけど、そのグイグイ来る感じが日本とは感覚が違いすぎて初めはすごく戸惑った。
韓国は親子がめっちゃ仲いいから、街で手を繋いで歩いだりするんよね。「オンマ(韓国語でお母さんの意味)、手つなごう。」って。ほんまにすごく慕ってくれて、そういう友達ができたのもジンヒョンのおかげやなって思う。
―その頃はもう韓国語を話せたんですか?
ちょびっとだけ。ほんまに道に困ったときとか助けを求めたいときの簡単な会話だけ。あとガイド本も持って行って。
ほんで、色々な人に助けてもらってやっと韓国代表でもジンヒョン応援するようになれたけど、ついてないのかな、私が行かへん方が試合に出るよなぁ(笑)
だいたい代表って1週間に2試合あるんよね。でも、そんなに長いこと滞在してられへんからどっちかに賭けて行くんやけど、ずっと観られへんくて本気で悩んでて。観れたのは結局、1試合だけかな。
W杯前の最後のA代表の国際試合の時は、ほんまに出てほしかったし出れると思ってたんやけど、出れなくて……。私もう悔しくて悔しくて、W杯出られへんやんって。W杯に行っても試合で使ってもらわれへんやんって、うわーって涙が溢れてきて。
そしたらそのすごくよくしてくれてる韓国の友達がちょっと顔が利く子で、ほんまやったら絶対入られへん所やけど裏まで連れて行ってくれたんよ。「ジンヒョンにここで声かけろ。」って。
そんなん向こうも絶対にへこんでるし声なんかかけれるかって思った。結局、声はかけられなかったけど目線は合ったから自分が賭けてた試合に来てくれたんやなっていうのは分かってはもらえたと思う。
でも、ほんまにあの時は立ち直られへんかった。悲喜こもごもやね、代表って。
Jリーグで一番のゴールキーパーだって認めてもらいたい
―そのジンヒョンも今年セレッソ入団12年目になります。今後、彼を応援するにあたって目標はありますか?
本当は去年(2020年)絶対に優勝したかってん。一昨年優勝できずにジンヒョンあんな扱いやったから。
だから一昨年は私、自分で表彰状を作ってあげた。100均で金メダル買ってきて、“あなたが最優秀ゴールキーパーです”って書いて。
韓国の人やから、多分子どもが小学校に上がる頃には母国に戻りたいと思うやろうし、それまでにJリーグで一番のゴールキーパーですって公に認めてもらいたいな。それだけの為に応援頑張ってます。
―ジンヒョンにとってまるで日本のお母さんみたいな存在ですね。
うっとうしいやろな〜干渉してくるお母さん(笑)
ぐっさん、素敵なお話をありがとうございました!
写真:牧落連 / 取材:くにまさ