ジーニアスと呼ばれた男、柿谷曜一朗。引退試合を前に、彼のこれまでの歩みをセレッソ大阪サポーターと徳島ヴォルティスサポーターのカメラマンが共同で綴る。後編の今夜は、海外移籍を経てセレッソで2冠獲得、そして再び徳島でプレーし引退するまでの軌跡を振り返る。
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こんばんは、セレサポ.netライターの牧落連(まきおちれん)です。 セレッソ大阪の第四代背番号8、セレッソを愛し、セレッソのためにプレーし、それゆえに苦しんだ天才、柿谷曜一朗の引退試合が迫ってきました。 [blogcard ur[…]
海外移籍を経て二度目のセレッソ復帰、そして2冠獲得へ
2013年、背番号8を背負い、シーズン21得点とキャリアハイの活躍を見せた曜一朗。しかし、その輝きは長くは続きませんでした。
2014年、セレッソはウルグアイの英雄ディエゴ・フォルランを獲得しリーグ優勝を目指しますが、カウンター中心だった2013年シーズンから攻撃的なスタイルへと舵を切ったことでチームバランスが崩れ低迷。曜一朗自身もさらなる飛躍を目指してスイスの古豪、FCバーゼルへの移籍を決意します。
バーゼルでは2014-15、2015-16の2シーズンを過ごしますがコンスタントな活躍ができず、Jリーグの2016年シーズン開幕に合わせて二度目のセレッソ復帰となります。
曜一朗が抜けたセレッソは2014シーズンにJ2陥落、2015シーズンはベテランを中心に補強しJ1復帰を狙うも昇格プレーオフで敗退しどん底の状態でした。そんな中でのエース復帰は、サポーターにとって福音となるものでした。
曜一朗はほぼすべての試合でキャプテンとしてチームを鼓舞し、引っ張る立場になっていました。選手としても2列目として攻撃をコントロールする立場になり、タレント揃いのチームの精神的支柱としてプレー。ゴール数こそ減ったものの、チーム全体への貢献度は変わらず、彼なくしてJ1復帰と2017シーズンの大躍進はなかったでしょう。

3度目の降格からはい上がったセレッソの宿願はタイトル獲得でした。リーグ戦、カップ戦、5度のチャンスがありながら一度も手にしたことのなかったタイトルを勝ち取りたい。その気持ちはサポーターも、クラブも、2017年から指揮をとったユン・ジョンファンも同じでした。
開幕前のキャンプでは日が昇る前から走り込む三部練習で徹底的に選手を鍛え上げ、ハードワークのできるチームが仕上がります。リーグ戦では曜一朗が、カップ戦では生え抜きの秋山大地がキャプテンとしてチームを引っ張り、リーグ戦三位、ルヴァンカップ、天皇杯の2冠獲得を成し遂げました。曜一朗は初にして唯一の「タイトルをもたらした背番号8」になったのです。

その代償として、曜一朗の身体は少しずつ疲弊し、傷ついていました。特に2016年のV・ファーレン長崎戦での靭帯損傷は致命的なものだったといいます。豊富な運動量が求められるチームのプレースタイルに適応しきれなかったことをきっかけに、彼は名古屋グランパスへの移籍を決意します。
名古屋グランパスでの曜一朗の内面は、私のあずかり知らないところです。ですが、少ない出場時間でもJリーグ最優秀ゴール賞を(しかもキンチョウスタジアムでのセレッソ戦で)獲得し、ルヴァンカップも(セレッソ大阪を倒して)勝ち取った結果を見れば、決して不遇な時期ではなかったはず。キツい恩返しはいかにも彼らしいですね。
J1の強豪クラブでも核になる実力を持っていることを結果で証明してみせた曜一朗ですが、2022年シーズンは怪我のため長期離脱を余儀なくされます。セレッソ在籍時から怪我がちになり今回の負傷で思うようなプレーができなくなっていた曜一朗ですが、まだやり残していたことがありました。
それは、若かった自分をプロサッカー選手として育ててくれた“徳島ヴォルティスへの恩返し”です。
(徳島編は阿波さんにお願いします)
徳島へ再び、そして現役引退へ(2023 – 2024)
2023年1月9日、徳島ヴォルティスの新体制発表会。会場は熱気に包まれていた。あの曜一朗が帰ってきてくれた、と。2009-2011の在籍当時を知る者にとっても、スター選手としての曜一朗しか知らない者でも、これは大きなニュースとして歓迎された。「あの曜ちゃんがもんてきた!(阿波弁)」と。

2023シーズンはリーグ戦37試合に出場して7ゴール。運動量こそなかったものの、一瞬で局面を変えてしまうプレー、ため息の出るような美しいトラップ、天才の片鱗を随所に魅せてくれた。しかし、チームはどん底。とにかく勝てない。スペインのレアル・ソシエダから招聘したラバイン監督は、31節終了後に更迭されてしまう。
J3降格危機にも立たされるなか、監督や強化本部長ではなく、曜一朗がサポーターと対話することが多々あった。「曜ちゃんが言うのなら……」そうやって厳しい場面を収めたことは一度や二度ではない。


2024年はリーグ戦29試合に出場して0得点。このシーズンも波乱万丈だった。7節終了後に監督の吉田達磨を更迭。チームの中心選手だった西谷和希が契約解除。クラブに激震が走るなか、曜一朗のコンディションは見るからに悪そうだった。トップコンディションで出場できた試合は無かったのではないだろうか。それでもチームの顔としてピッチに立ち続ける曜一朗。天才と呼ばれたスター選手の“35歳のリアル”だったと思う。

そして届いた、現役引退のニュース。
2024シーズンをもって契約満了となっておりました柿谷曜一朗 選手が、現役を引退することとなりましたのでお知らせします。…

柿谷曜一朗とは何者なのか?
16歳でプロ入りし、35歳までほとんどの期間を所属クラブの主力としてプレーしてきた柿谷曜一朗とは、いったいどんな選手だったのでしょうか?
華やかな部分だけをピックアップすれば、才覚にあふれ、所属クラブに3つのタイトルをもたらし、天才・ジーニアスと呼ばれるにふさわしいプレーでサポーターを魅了した“カリスマ”と呼ぶにふさわしい選手でした。
一方で、彼のキャリアを細かく振り返ると、不遇な選手ではなかったかと感じるところもあります。デビュー直後はメンタルに難があり思うような活躍ができず、バーゼルからセレッソに復帰してからは怪我に悩まされるようになりました。心技体という言葉がありますが、すべてが揃っていたのは精神的に成熟した2011年ごろから長崎戦で負傷する2016年の前半までの6シーズンほどで、選手として生き生きとプレーできたのはほんの僅かだったように思います。

サッカーすることが楽しくて仕方がなかった彼が、足首の痛みに耐えながら、自分自身が納得いかないプレーしかできない中でなお、チームやサポーターのために35歳になるまでプレーしてくれたことには感謝しかないです。
12月14日、ヨドコウ桜スタジアムでの引退試合は、彼にとって久々の楽しくサッカーできる機会ではないかと感じています。ピッチを無心で駆け抜ける背番号8を、自由にプレーする柿谷曜一朗を観られるなんて、これ以上ない楽しみですよ。

写真・文:牧落連(セレッソ編) / 阿波川島(徳島編)

