おはよう、こんにちは、こんばんは、セレサポ.netライターの牧落連(まきおちれん)です。
先月、小菊昭雄監督の今季での退団が発表されましたね。そこで今回は、2021年から4年にわたってセレッソを支えてくれた「監督・小菊昭雄」について、そして「人間・小菊昭雄」ついて振り返ってみたいと思います。
就職氷河期を乗り越えた男
小菊昭雄監督は1975年生まれ。いわゆる就職氷河期真っ只中の世代です。同年代だからわかるんですが、新卒でもまったく就職先が決まらなくて、何十社、何百社面接してやっと内定もらえるかもらえないかというご時世でした。
なので、小菊さんがアルバイト待遇でセレッソの育成部門に入ったのは当時としてはよくあるパターンでした。夢を追うためには何かを諦めないといけない、そんな時代でした。
小菊さんが小菊さんらしいのは、そんな夢のない時代にあっても夢を捨てなかったことではないかと思います。ダービーで素晴らしいゴールを決めた西尾隆矢選手、前線でレギュラーを掴みかけている北野颯太選手はじめ、舩木翔選手、喜田陽選手、山田寛人選手と多くの若者の夢を現実のものにしている。その情熱には感服するしかないです。香川真司を見出したのも小菊さんでしたね。
印象に残るのは2023年のホーム神戸戦です。劇的勝ち越しゴールを決めた北野選手は一目散に小菊監督のもとまで駆け寄って、喜びを分かち合いました。これだけ選手と強い絆で結ばれた監督はそういません。
監督としての苦悩と功績
一方で、トップチームの監督として乗り越えられなかった壁があったのも事実です。試合中だと選手交代のタイミングやリードを許したときの戦術変更に難がありました。シーズンを通じてだと春先は好調でも一度勝てなくなると長いスランプに入ることもしばしばでしたね。
それでも、これだけは書かないといけないって功績がありますよね。ダービーに強い、徹底的に強い、あっちのサポーターが「勝ち逃げするな!」というくらい強かった。試合後に「俺等が大阪!」と叫ぶ喜びをもたらしてくれたのは、セレッソを心底愛してくれて、セレッソのために人生のすべてを懸けてくれた小菊さんのメンタリティだったのではと思っています。
小菊桜はこれからも咲き続ける
小菊昭雄という人物は、森島寛晃セレッソ大阪現社長や最多試合出場を続けるキム・ジンヒョン、歴代ミスターセレッソに比肩するほどセレッソを知り尽くしている人間だと言っていいでしょう。
これからはセレッソから離れて(おそらく)指導者としての道を歩むことになるのでしょうが、そこで日本のサッカー、世界のサッカーに対する知識も深めてほしいと考えています。そして、日本屈指の指導者になってほしい。
できればセレッソにたくさんの星をもたらしてほしいですけれど、メイドインセレッソの指導者がどこかのクラブでバリバリ活躍するのも悪くないんじゃないでしょうか。
セレッソはこれまでたくさんの名選手を輩出してきました。たまには名指導者を生み出してサッカー界を変えるのも楽しくないですか?氷河期生まれの小菊桜は、ちょっとやそっとじゃ枯れないし、散らない。手強いですよ。
写真・文:牧落連